日本の秋の風物詩にはお月見や虫の音、秋刀魚などの食べ物と色々ありますが、その中でも美しさで人を引き付けるのが紅葉です。
赤く色づいた美しい紅葉を楽しむ紅葉狩りは、毎年多くの人に親しまれています。
しかしこの紅葉狩り、紅葉はいいですが、狩りって何でしょうか?
いちご狩りとかマツタケ狩り、潮干狩りなんかは何かを採るものですが、紅葉は見るだけです。
眺めて楽しむだけなのに狩りと呼ぶのってすこし変ですよね。
毎年紅葉狩りの時期になるとこの呼び方が気になるものの、時間が過ぎて忘れてしまうと言う人も多いのではないでしょうか。
今回はそんな紅葉狩りについて、語源や由来、意味などをまとめました。
これを読んで秋の紅葉をめいっぱい楽しみましょう。
紅葉狩りとは、紅葉狩りの語源
紅葉狩りは秋の山に生えている紅葉を見て楽しむもので、観楓(かんぷう)や紅葉見(もみじみ)と言う呼び名もあります。
紅葉狩りの歴史は古く、平安時代から続いていると言われています。
紅葉を美しいものとして捉える心はそれ以前からあり、奈良時代に作られた万葉集にも紅葉の美しさを詠ったものが100首以上登場しているそうです。
それだけ日本人の心に紅葉の美しさが強く印象に残っているのがうかがえます。
ちなみにそのころは紅葉ではなく「黄葉」と書いて「もみち」と読んだそうです。
これは葉の色が変わることをさす「もみつ」という言葉から来ていて、色づいた葉全般を指すものです。
当時の人は赤よりも黄色の葉に親しみがあったようで、秋になると色が変わる葉の代名詞として「黄葉」を「もみち」と言っています。
ともかく奈良時代には既に紅葉の美しさについては知られていましたが、まだ紅葉を見に行くことそのものが行事にはなっていませんでした。
それに変化があったのが平安時代で、嵯峨天皇が当時離宮のあった嵐山で舟遊びをした際に紅葉を見て楽しんだことから、紅葉見物を一種のイベントとして楽しむことが貴族に流行したそうです。
なおこの嵯峨天皇は舟に乗ってお月見もしているのですが、お月見が行事として広まったのもこの後です。
嵯峨天皇は文化人として有名でしたが、こうしたエピソードからも時代の最先端を行っていたのがわかりますね。
また鑑賞した後に紅葉を題材にした歌を詠む紅葉合(もみじあわせ)も貴族の間で行われるなど、紅葉を愛でる文化は脈々と受け継がれます。
ただこのころにはまだ紅葉狩りと言う呼び名はなかったようです。
実は紅葉狩りという言葉の語源についてはあまりはっきりしていません。
紅葉を見ることが行事となったのは平安時代と言われていますが、書物に「紅葉狩」という言葉が初めて出てくるのは、鎌倉時代に編纂された夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)です。
鎌倉時代に言葉があるということは、平安時代の後期くらいから徐々に使われだしたのかもしれません。
次の室町時代になると「紅葉狩」という能に使われる謡曲が作られ、これが大ヒットします。
そこから紅葉狩りという言葉も広く知られるようになっていきました。
この「紅葉狩」という能は後に歌舞伎の演目にもなり、今も秋になると上演されています。
紅葉狩りは平安時代から長らくは貴族の遊びでしたが、江戸時代になると庶民に広まります。
江戸時代の庶民の紅葉狩りは見るだけの今と違い、お花見のように宴会を開いて楽しむものでした。
ちなみに北海道では現在も「観楓会(かんぷうかい)」という紅葉を鑑賞して宴会を催す集まりが開かれるそうです。
観楓会という呼び方は宴会を開く場合だけに使われ、紅葉を鑑賞するだけだと紅葉狩りと使い分けられているそうですが、これも江戸時代から受け継がれている流れなのかもしれませんね。
紅葉狩りの言葉の由来
紅葉を眺めることを紅葉狩りと呼ぶことの由来については二つの説があります。
一つは野山に分け入って草花を楽しむことを狩りと言っていたという説。
これは貴族が動物などを狩猟することをほとんどしなくなったため、遠出をして野山に草花を求めてゆくことを狩りと呼んだと言われています。
当時は紅葉は山に行かなければ見られないものだったため、紅葉を見るために遠出をすることが「紅葉狩り」になったというわけです。
もう一つの説は、実際に枝や花を折っていたので狩りと言ったというものです。
昔の和歌には花の枝を折ることを詠ったものがいくつもあり、万葉集でも「春べは花かざし持ち 秋立てば黄葉かざせり」と柿本人麻呂が詠っています。
この「かざす」というのは、枝を折ったものを髪に挿して飾りにすることを言います。
その他にも紅葉がきれいなので愛する人に折ってかざしたいと詠ったものなどが複数あることから、当時木や花の枝は好きに折って持って行っていたようです。
狩りの言葉からすると後者のほうがしっくりきますが、前者にはいかにも貴族らしい優雅な印象があります。
どちらの説も確定的な証拠があるわけではないので、自分が好きな方を信じるのがいいでしょう。
もちろん今紅葉狩りで枝を折ると怒られます。
昔していたからと言って今はしないようにしましょう。
紅葉狩りの意味
紅葉狩りは紅葉を山に行って鑑賞する、もしくは折るので紅葉狩りというのは前段でも書きました。
実はその他にも紅葉狩りの意味に関する一つの伝説が残されています。
この伝説にはいくつかのバリエーションがあるのですが、概ね以下のようなものです。
むかしむかし、平安時代のこと。
会津に紅葉という名前の女がいました。
紅葉は子供ができなかった両親が第六天魔王に祈りを捧げて授かった子供でした。
大変美しく成長した紅葉でしたが、妖術に目覚め、その力を自分のために使っていました。
紅葉は貴族に見初められ結婚しますが、妖術を使っていたことが知られてしまい信濃の戸隠山に追放されます。
しかしそこでもまた妖術を使って人々を惑わせたため、朝廷の命を受けた平維茂(たいらのこれもち)が討伐に向かいます。
鬼女となった紅葉は平維茂と戦いますが、神仏の加護によって力を得た維茂に敗れ、首をはねられます。
かくして紅葉は退治され、平和が戻ったのでした。
この逸話に出てくる鬼女の「紅葉」を狩ることが「紅葉狩り」という言葉の由来になったという説があります。
これまでの説では紅葉を楽しむのが紅葉狩りでしたが、こっちの意味だとちょっとおどろおどろしいですね。
またこの紅葉伝説が元となり、能や歌舞伎の「紅葉狩」ができたとされています。
能や歌舞伎のストーリーは平維茂が美女に出会ってもてなしを受けるものの、お告げで鬼女と知った維茂が退治するというもので、伝説の骨子は残っています。
こちらが紅葉狩りのルーツというのは少しドラマチックすぎる気もしますが、これはこれで夢があっていいのかもしれません。
おわりに・まとめ
紅葉狩りは平安時代から鎌倉時代にかけて誕生したものですが、紅葉を愛でる心はそれよりも前からありました。
うつよいゆく季節の中で一瞬の華やかさを見せるものに儚さと美しさを感じる心は、日本人が今も昔も変わらず持っているものでしょう。
紅葉狩りの言葉の由来にはいくつかの説がありますが、どれを取っても趣のあるものです。
日本人が古来より愛した紅葉を鑑賞することで、時を経ても変わらない美しさを感じてみてはいかがでしょうか。
話のネタ以外にも、紅葉狩りに行く人がいたらシェアして教えてあげましょう。