マインドフルネス瞑想をずっとやっています。マインドフルネス瞑想を調べると、ヴィパッサナー瞑想やサマタ瞑想といった言葉が出てきます。いろんな人がいろんな事例を持ちいて説明しているので、混乱しがちですね。
違いがどんなものか、を明確にしてみました。
もくじ
マインドフルネス瞑想とヴィパッサナー瞑想の違いは?
マインドフルネス瞑想について調べていると、ヴィパッサナー瞑想というのが必ず出てきます。
実はこれ、同じ意味なんですよね。
「ヴィパッサナー」はパーリ語です。パーリ語はブッダが生きていたころの言語です。
マインドフルネス(mindfulness)という用語は、パーリ語のサティ(sati)の翻訳です。
その意味は、「観察する」「分けて観る」、「物事をあるがままに見る」です。
そして、
「マインドフルネス」は、ヴィパッサナーを英語に訳した言葉とされています。
ヴィパッサナー瞑想は、ブッタがおこなっていた瞑想です。
ブッダは、この瞑想によって悟りを開きました。ヴィパッサナー瞑想のことを「唯一の道」と言っています。
ヴィパッサナー瞑想のやり方
さて、ではヴィパッサナー瞑想のやり方です。
ヴィパッサナー瞑想のやり方の基本は、呼吸を観察するところから始まります。
すると脳は暇になるので、いろんなことを考え始めます。
脳の中で出てくる考えを、「今、〇〇について考えてるな~」と観察します。考えていることに気づいたら、呼吸に意識を戻します。
自分で自分の脳内を巡る考えや状態を実況中継するような感じで実践します。
ただそれだけ。
人間だれしも、過去の事や未来のことで頭をいっぱいにしています。
あの時こうすればよかった、あの時はひどかった、(過去)
もしかしたら悪いことが起きるかもしれない、失敗したらどうしよう(未来)
雑念・妄想・思い込みというのは、放っておいても止まりません。それどころか、思い込みが頭の中を自動的に駆け巡っていることすら気付いていないほうが多いです。
未来や過去は考えても何も変わりません。解決しないことばかり考える脳は無駄な活動により、どんどん疲労します。
その駆け巡る考えをあえて観察し、「無意識」のパターンを「意識化」します。
そして気付いた後に呼吸に集中することを繰り返すと、雑念・妄想・思い込みがどんどん減っていきます。
瞑想中は、別に考えを否定するでも肯定するでもなく、客観視していきます。
瞑想を繰り返すことで、自然と自分の思い込みに気が付いて、様々なことを色眼鏡を通して見ていたことに気が付きます。
苦しい、悲しい、私は不幸だ、と思っていたことが、客観的に見たら思い込みだった、別の角度から見てみたら、実は不幸でもなかったとか気が付くんですね。
ヴィパッサナー瞑想で得た客観的に観察できる状態で世の中を見られるようになると、洞察が深まり、智慧を得られるとされています。
マインドフルネス瞑想とヴィパッサナー瞑想の明確な違い
じゃあマインドフルネス瞑想とヴィパッサナー瞑想は何が違うのかといえば、主に、宗教性を排除しているところです。
マインドフルネス1970年代に、生物学者であり心理学者であるジョン・カバット・ジン教授が、禅やヴィパッサナー瞑想を元にして作り出した心理療法が元になります。
「今という瞬間、瞬間への、一切の評価、判断を挟まない、気づきの状態(アウェアネス)」を掲げています。
やっている瞑想は、同じく、呼吸によって落ち着き、頭の中を駆け巡る考えを観察し、また呼吸することに意識を戻してを繰り返します。
宗教性があると、ゴールが悟りを開くところであったりしますが、マインドフルネスであればもっと日常のストレスや認知の改善といった現実的な効果を求めているということですね。
現実社会で必要なメソッドだけが取り出されているともいえるでしょう。
マインドフルネスとマインドフルネス瞑想
ちなみに、本来
「マインドフルネス」は「現在の体験を全面的に受け入れながら、リアルタイムで注意を向けること」 です。この状態を達成できれば手段はなんでもいいんです。その一つが瞑想ということです。
認知行動療法では、マインドフル・イーティングと言って、レーズンを食べる感覚を観察することから始めたりします。
マインドフルネスとは、心を無にするのではなく、モニタリングなんですね。
他にも食べる瞑想、歩く瞑想などという手法もありますが、これらは、呼吸を食べることや歩くことに置き換えているだけです。
結局は、瞑想している人が「自分自身に起きている心身現象の性質を、正確に理解しようとして行うメソッド」ということです。
環境や音に意識を向けるのも同じことです。モニタリングと気付きを促すための方法です。
ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の違いは?
さて、瞑想の種類をいろいろ見ていくと、サマタ瞑想というものも出てきます。
サマタ瞑想とは
サマタ瞑想は集中の瞑想です。
よく行なわれるのは呼吸に集中する瞑想です。
呼吸に意識を向けて、できるだけ意識が呼吸からはずれないようにします。意識がそれたら呼吸に集中させます。
サマタ瞑想では、集中を維持するためにマントラ(真言)を使ったりもしますね。
ある種の呪文を繰り返し唱えることに意識を集中することで、他に意識が向かないようにします。
ろうそくの炎を見る方法もあります。
見ることに集中し、心や脳のせわしない動きを止めていきます。
サマタ瞑想の効果
極度の集中状態によって、自分と集中しているものが一体になったような状態にたどり着きます。
それにより、集中力が養われ、心が落ち着く方法です。
心の動揺や迷いを止めることができると言われています。
ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の違いは?
ヴィパッサナー瞑想は、自分の無意識を意識にあげて気づきを得ることが主体になりますが、サマタ瞑想は、集中していることに没頭することが主体です。
ヴィパッサナーは 「観」
サマタは 「止」
と言われます。
手順だけ比較すると・・・・
ヴィパッサナー瞑想は、呼吸に注意を集中し、心の中に浮かんでくる感情・思考・身体的な感覚を、観察します。観察することにエネルギーや集中力が必要です。観察し、ありのままを受け入れます。そして、呼吸に意識を戻して、心の落ち着きを確認します。
サマタ瞑想は、呼吸に注意を集中し、感情・思考・身体感覚が感じられて注意がそれたら、呼吸に注意を戻します。
マインドフルネス瞑想とサマタ瞑想
マインドフルネス瞑想とサマタ瞑想の関係ですが、これはちょっと区別が必要です。
マインドフルネスの提唱者であるジョン・カバット・ジンの著書『マインドフルネスストレス低減法』P110には、ヴィパッサナー瞑想とともに、サマタ瞑想の手法も同じく紹介されています。
だからマインドフルネスの一部なのかなぁと思いがちですが、集中力アップの技術(サマタ系)と、マインドフルネスの技術(ヴィパッサナー系)は区別されてます。
「マインドフルネス」は「現在の体験を全面的に受け入れながら、リアルタイムで注意を向けること」 でしたよね。
ですから、集中する瞑想をしたとしても、「ああ、集中しているな、それているな」と自分をモニタリングすることがマインドフルネスでは必要です。サマタ瞑想みたいに集中・没頭にどっぷり入るわけではないんですね。
サマタ瞑想は、別の言葉で言えば、「フロー状態」に入っている感じになります。ろうそくの火やマントラと一体になったような気分。客観視の視点はないわけです。
さらに言うと、集中系のサマタ瞑想が上手くなってくると、凄い幸福感がわき上がってくる場合があり、それは禅の世界では「魔境」なんて言われてます。過剰集中の状態ですね。日常全体の幸福感が上がるのではなく、瞑想中に座っているだけで感じる猛烈な幸福感のことだそうです。
サマタ瞑想の集中状態は、これはこれでメリットがあるので、実践すればOKですが、マインドフルネスとは少し区別が必要でしょう。
幸福感が出ても、「幸福感が出ているな」と観察して受け流すのが、マインドフルネスでは大事だとされています。
おわりに・まとめ
・マインドフルネス瞑想はヴィパッサナー瞑想から生まれている
・ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス瞑想の違いは、宗教性があるかどうか
・ヴィパッサナー瞑想は「観」・サマタ瞑想は「止」で異なる技術
というのが大枠の違いです。
細かい種類や、マニアックな記述が多いのが瞑想の世界ですが、同じ呼吸法をしていても、サマタとヴィパッサナーでは目指すところが違います。
また、「マインドフルネス」の状態を目指すことと瞑想の種類は分けて考えたほうがいいですね。
「マインドフルネス」は「現在の体験を全面的に受け入れながら、リアルタイムで注意を向けること」です。
瞑想は細かいテクニックが多いのでわからなくなりがちですが、この根本を押さえておけば、全体感はつかめるかと思います。